森保一監督の背番号は現役時代は何番?選手時代の成績や経歴についても

2022年11月24日

日本代表の新監督が決まりました。

新監督は、森保一(もりやす はじめ)さん。

日本がワールドカップに出場するようになって、日本サッカー協会が次のワールドカップを目指すための4年間を託した初めての日本人監督となります。

 

また森保監督は、1999年から2002年までフィリップ・トルシェ監督が兼任した「オリンピック代表監督」も兼任して務めることになりました。

A代表監督とオリンピック監督を兼務するのは大変な激務ですが、それだけサッカー協会が森保監督に期待するところが大きいのでしょう。

んな森保監督というのは、一体どんな人物像でどれだけ凄い人なのでしょうか?

経歴や選手時代の成績などについて説明します。

※この記事は2018年当時のを書き直したものです。

 

【先に結論】

・選手時代の背番号は7番

・日本代表の背番号は6番

・ポジションはミッドフィルダー

・長崎県出身、サンフレッチェ広島に所属

・「ドーハの悲劇」経験者

森保一監督の主な経歴

森保監督は1968年生まれ。

8月23日が誕生日ですから、2022年現在で54歳になります。

 

選手時代はサンフレッチェ広島の前身、マツダ(東洋工業)のサッカー部に入部。

その後、同クラブがサンフレッチェ広島としてJリーグに参加して、Jリーガーとしてプロ選手になってからは広島の顔として活躍しました。

出身は長崎県。

中学から大学まで長崎県の学校でサッカーをやっていたので、全国的には無名な選手でした。

当時の日本代表に初めて招集されたとき、当時のエースだったラモス瑠偉選手から、

 

「森(モリ)って誰?」

 

って言われたのは今では有名な話です。

今でもサッカーファンの中には「森 保一(もり やすかず?)」さんだと思っている人も多いとか。

それほどに派手さとは無縁な、目立たない選手だった森保監督です。

 

現役時代はサンフレッチェ広島に所属

現役選手としてはプロリーグになる前のマツダ(東洋工業)でスタートさせて、プロになってからはサンフレッチェ広島で長く活躍しました。

ポジションは守備的MF(ミッドフィルダー)なので、得点というのは多くありません。

ですので、数字だけで見ると「凄い選手」にはちょっと見えません。

 

しかし守備的MFとしてどの年の監督からも高い評価を受けた選手です。

広島時代に森保選手を知っていたオフト監督が日本代表監督になってからは、「オフトの申し子」として日本代表のボランチを務めあげました。

親善試合で日本と対戦したアルゼンチンのエースストライカー、カニーヒャ選手からは「日本には素晴らしいボランチがいる!」と称賛されたほどです。

 

選手時代の背番号は「7番」

日本代表での背番号は、ボランチのポジションとしてよく使われる「6」番

他には「15」番や「17」番を着けていました。

また、クラブの広島では「7」番が森保選手のレギュラー番号でした。

選手晩年はベガルタ仙台で「27」番を着けていましたが、やはり森保選手の背番号のイメージは「7」番が強いですね。

 

そんな森保監督ですから、代表での「7」番を誰に指名するか?は、個人的に大変興味深いです。

(ロシアワールドカップの日本代表の7番は、柴崎岳選手でした)

 

森保一監督は、Jリーガー出身の初の日本代表監督となります。

サッカーファンの間では伝説となっている「ドーハの悲劇」のメンバーでもあった森保監督ですが、その悲劇を経験したからでしょうか。

非常に手堅い、堅実なサッカーを志向してるようです。

 

5年間で3回優勝のスゴイ監督歴

監督としては、Jリーグのサンフレッチェ広島で5年間で3度の優勝という素晴らしい実績を残しています。

当時は経営状態が悪化して、主力選手が次々と高額サラリーに釣られて移籍が相次いでいました。

そんな中での就任1年目に優勝。

そして次の年も優勝し、サンフレッチェ広島で初の連覇を成し遂げています。

これは誰もが真似できるものではありませんし、はっきり言って凄い成績だと思います。

 

この実績が評価されて、日本代表としてはU-23のコーチを経て、東京オリンピックの日本代表監督に就任。

今回のロシアワールドカップ大会でも、急きょ就任した西野監督に乞われてコーチとして大会に参加。

そして大会が終わって今回、晴れて日本代表A監督に就任しました。

 

初のJリーガー出身の代表監督

森保監督はJリーガーとして、初めて代表監督に選ばれました。

1983年に日本サッカーがプロリーグになってからJリーガーが誕生したわけですが、そのJリーガーを経験した初めての代表監督です。

日本がワールドカップに出場するようになった1998年以降、日本人の監督は「岡田監督」「西野監督」と今まで2人いますが、この二人はJリーガーではありません。

あくまで日本リーグのサッカー選手です。

 

ドーハの悲劇を経験した初の代表監督

日本サッカー界では、有名な「ドーハの悲劇」という試合があります。

1994年のワールドカップアメリカ大会に、ワールドカップ初出場を懸けてアジア予選を戦っていた日本代表。

「あと1分守ればワールドカップ出場」という、カタールのドーハで行われたイランとの一戦での出来事です。

ロスタイムに同点ゴールを決められ、出場権を目前で逃がしまいました。

この試合を「ドーハの悲劇」と呼んでいますが、その試合に出場していたのが森保監督でした。

 

初の4年契約の日本人監督

先の「岡田監督」「西野監督」は日本人監督ですが、いずれも前任監督が更迭されての途中就任という形でした。

岡田監督は2回監督に就任していますが、1回目は加茂監督の更迭に伴い、アジア最終予選の真っただ中に監督に就任。

2回目はオシム監督が脳梗塞で倒れたあとを受けての途中就任。

西野監督はロシアワールドカップ大会の2ヶ月前という直前に、ハリルホジッチ監督の更迭を受けての就任でした。

 

日本代表は、いつもワールドカップが終わると外国人監督に次の4年間を預けて、「アジア予選突破~本大会出場~1次リーグ突破~決勝トーナメント勝利」という目標を達成しようとしていました。

今回、その4年間を初めて日本人に委ねようとし、その「初の(4年間)日本人監督」が森保監督なのです。

 

森保一監督の目指すサッカー

選手時代から派手さはなかった森保選手。

そんな森保選手が、今や日本代表の監督になりました。

ですから、森保監督の選手選びは有名か無名かは関係なく、勝利を求めて走り廻る選手を起用することははっきりしています。

 

コンディション優先で、若い選手であっても好調であれば登用する選手起用。

これからの日本代表は海外選手とか国内選手とか、若いとかベテランとかも関係なく、「今一番ベストな選手」を森保監督は選んでいくはずです。

 

オリンピックで活躍する選手も、すぐに日本A代表に呼ばれることになるでしょう。

私たちの知らない、これからの選手がどんどん日本代表のユニフォームを着て、大活躍をしていくのを見るのは大変楽しみです。

ワクワクしますね。

森保監督にはぜひ頑張ってほしいです!