田嶋幸三会長の若い頃の評判は?現役時代のサッカー選手での実績は?

2018年7月18日

日本サッカー協会会長、田嶋幸三。

ハリルホジッチ監督解任で、一躍時の人となりました。

 

この方、いわゆる日本サッカー界のお偉いさんです。

しかし、そもそも田嶋幸三会長はサッカーを知っている人なのでしょうか?

そう疑問を抱いている人もいると思います。

 

現役時代は、学生サッカーなどをしていたのか、またその頃の実績や評判はいかほどだったのか?

今回はそんな内容を踏まえて、田嶋会長を人としてだけではなく、サッカーの面からも探ってみたいと思います。

 

田嶋幸三会長のサッカー選手としての実績は?

生まれは熊本県天草郡ですが、育ちは東京都世田谷区のようです。

小学校からサッカーを始め、ポジションはFW。

中学校時代には、関東大会で優勝の経験があります。

高校は、埼玉県の浦和南高校に進学。

3年生のときにキャプテンを務めて、高校選手権で優勝という結果を残しています。

 

卒業後の進路は、当時の日本サッカー界がまだアマチュアだったため、大学進学を選び筑波大学に入学します。

もちろん、大学でもサッカーを続けた田嶋幸三会長。

4年生のときに日韓戦の前座試合として行われた大学選抜の日韓戦で、首脳陣の目に留まって日本代表から声がかかるようになります。

 

国際Aマッチには7試合に出場し、1得点の成績を残しています。

大学卒業後は、現在のジェフユナイテッド千葉に所属します。

しかし、わずか3年で引退してしまいます。

成績は39試合出場、6得点です。

 

サッカー選手としての実績は少し物足りないですが、有能な選手だったのかなと感じます。

精神面的に少し問題があったのでしょうか。

時代も少し悪かったのかもしれませんね。

 

田嶋幸三会長の若い頃の評判は?

小・中学校のころから成績優秀で、文武両道を高レベルで体現できていたのだと思います。

小中高とサッカーの方でも優勝経験が豊富なので、周囲からの評判も良かったことでしょう。

 

田嶋幸三会長は小学校のころから、夢はサッカー選手やワールドカップと書いていたそうです。

性格は冷静で温和な方で、あまり感情的なタイプではないようです。

指導者としては冷静沈着に物事を見て、論理的に分析してどうやってチームが勝つか考える、戦略家のようなイメージがあります。

 

ですがハリルホジッチ監督解任時のように、独断で決断を強行し周囲の反感を買ってしまうことも多々あるようです。

良くも悪くも、俗に言う亭主関白タイプでしょうか。

 

また、これまでの人生経験から自分の考えに絶対的な自信を持っており、教養もあります。

ですので、自分が正しいと思うことに対して、周囲を説得させる術にも長けていると思います。

小さい頃から賢く成功体験も多かったので、自我が強く周囲からも認められる存在だったのではないでしょうか。

 

今回のハリルホジッチ監督解任という形で、田嶋幸三会長は批判を受ける形で目立ってしまいました。

ですが報道だけでは、見えないところも多いです。

皆さんは、どういった印象を持ちましたでしょうか?

 

決して悪い人ではないのでしょうが、この国でリーダーになる器のある人々は多かれ少なかれバッシングを受けてしまいがちです。

その中で屈することなく決断したことを遂行する事については、一定の評価を与えても良いのではないかと思います。

どうかよい日本代表の成長にブレーキをかけることなく、サッカー界を発展させていってくれることを願うばかりです。