ブラックラグーンのモデルはどこの国?ロアナプラは実在するのか解説!
漫画『ブラック・ラグーン』のストーリー背景となる都市、「ロアナプラ」とは、広江礼威の漫画(アニメ化もされた)『ブラック・ラグーン』(BLACK LAGOON)に登場する架空のタイの港町です。
作中のロアナプラは実在するのか?また、ロアナプラほかブラックラグーンの世界観のモデルとなった場所が存在するのか?について紹介します。
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ブラックラグーンのモデルはどこの国?
結論からお伝えすると、ブラックラグーンに出てくる街・地名は架空のものです。
ですが、モデルとなっているのは主に1969年当時の「ベトナム」が時代背景となっています。
ロアナプラは実在する?モデル都市は?
ブラックラグーンの作中で、タイ国内(南部?)に位置すると言われる、架空の港町「路南浦(ロアナプラ)」。
事実上、タイ政府の主権が及ばない状態で、複数の(犯罪)組織による支配下にあります。
世界でも最悪と言われる治安の悪さを誇り、世界中の犯罪者たちが集まる犯罪都市として知られています。
ブラックラグーンに登場する「ロアナプラ」は実在しない都市ですが、モデルとなった街があります。
ロアナプラとは?
ロアナプラは世界中の悪党たちが集まり、詐欺や欺瞞が蔓延し犯罪の温床となっている犯罪都市です。
複数の犯罪組織が協力して支配している都市です。
ロアナプラでは、
ロシアンマフィア「ホテル・モスクワ」、
香港系マフィア「三合会(トライアド)」、
イタリア系マフィア「コーサ・ノストラ」&「カモッラ」、
コロンビアマフィア「マニサレラ・カルテル」、
これらによる「黄金夜会」の下で、不安定な均衡が維持されています。
組織だけでなく、殺し屋、殺人代行組合、情報屋、武器商人などもこの地に住んでおり、国家スパイやテロ組織なども秘密裏に活動しています。
司法組織を含む警察は既に買収されており、警官たちも地元のチンピラと区別がつかないほどです。
新興勢力は排除的であり、「黄金夜会」に反抗する者には容赦がありません。
この町は危険な商売に依存しているだけでなく、観光客向けの業種も存在し、例えば、プーケットなどの歓楽街に訪れる客を対象としたビジネスも行われています。
小説によれば、かつて工場誘致の計画があったとされますが、それは後に取りやめられたとのことです。
このような特異な街のため、ロアナプラで埋葬される者は数知れません。
架空の街で旧南ベトナムのサイゴンがモデル
ブラックラグーンに登場する港町「路南浦」ロアナプラのモデルとされているのは、1969年当時の旧南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)です。
35年前までは静かな港町であり、フランスの植民地時代にはフランス租界(外国人の住む地域)が存在し、その当時の建造物の一部が現在も残っています。
たとえば「サンカンパレスホテル」などが該当します。
OVA版では、この港町「路南浦」はバンコクと高速バスで結ばれており、日本軍が太平洋戦争中に軍港の開発を始め、戦後には麻薬の密輸によって発展したという設定が追加されています。
ベトナム最大都市のホーチミン市がモデル
また、ロアナプラのモデルとされている場所はもう一つあり、その都市は、ベトナムのホーチミン市です。
ホーチミン市はベトナム最大の都市で、現在では東南アジアで有名な国際都市の一つとされています。(ベトナムの首都はハノイです)
その華やかさから「東洋のパリ」とも称されています。
ホーチミン市には多くの観光名所があり、戦争証跡博物館などが知られています。
この博物館では、過去の戦争に関連する資料や写真が展示されており、特に米軍が使用した枯葉剤の被害についても記録されています。
観光地域は安全ですが、一部の地域は治安が悪く、特にファングーラオという場所はロアナプラのような状況で知られています。
ここでは頻繁に喧嘩が起こり、薬物の使用や買収も一般的です。
賭博も盛んで、犯罪に巻き込まれる危険性があるため、警戒が必要です。
また、中華街であるチョロンも治安が悪く、スリやひったくりが頻繁に発生しています。
衛生状態も悪いため、食事には気をつける必要があります。
いずれの場所も、ぼったくりタクシーなども存在するため、観光客は十分に用心するべきです。
ホーチミン市はロアナプラに似た一面を持っていますが、安全に観光を楽しむためには用心が必要です。
ロアナプラのような無法地帯な町は実在する
前述のとおり、「ロアナプラ」とは、広江礼威の漫画(アニメ化もされた)『ブラック・ラグーン』(BLACK LAGOON)に登場する架空のタイの港町です。
この町は、ロシアマフィア「ホテルモスクワ」を含む、さまざまなマフィアやCIAなどが活動する無法地帯として描かれています。
その様子は西部劇に登場するような、毎日銃撃戦の有る開拓時代の西部の町に似ているとされています。
最近、ある老舗商社の経営者から、中国の南方国境地帯で過ごしたある一夜の話を聞く機会がありました。
その話に出てくる町は、中国とミャンマーの国境に位置する緩衝地帯にあるもので、まるでロアナプラのような状況だったと言います。
その経営者は、その町で一晩を過ごすことになったと語りましたが、その町は完全な無法地帯だったそうです。
経営者がミャンマーから出国しようとしたタイミングが悪く、その日の午後6時までに間に合わなかったため、中国側のイミグレーションが翌朝8時まで開かなかったため、緩衝地帯で一夜を過ごすこととなりました。
当然、既に出国しているため、ミャンマー側に戻ることもできなかったとのことです。
その数百メートルの緩衝地帯では、司法制度が通用せず、犯罪行為を含むさまざまなことが行われていたそうで、生命を守ることが最優先される場所であったと述べています。
彼は一晩を、ホテルの一室に立て篭もり(入り口のドアをベッドで塞いだとのこと)何とか無事で済んだそうですが、全ての人々が同様に幸運なわけではないでしょう。
そのため、このような場所を訪れることは、決して安易なことではないと考えられています。
このような出来事は、まだまだ知られていない世界が存在し、上海などでその地から生還した人々と出会うことが多いことを示唆しています。
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